スティルインラブは、日本競馬史にその名を刻む不朽の名牝です。2003年に史上7頭目となる牝馬三冠(桜花賞、優駿牝馬、秋華賞)を達成し、その偉業は多くの競馬ファンの記憶に深く刻まれています。父にディープインパクト、母にブライアンズタイムの血を引く良血馬として生まれ、その類稀な能力と勝負根性で、常に厳しい戦いを勝ち抜いてきました。本稿では、スティルインラブの誕生から輝かしい競走成績、そして繁殖牝馬としての活躍に至るまで、その生涯を詳しく解説します。
スティルインラブは、2000年5月2日、北海道浦河郡浦河町の岡野牧場で生を受けました。その血統は、まさにエリート中のエリートと言えるものでした。
このような血統背景を持つスティルインラブは、生まれた時から関係者からの期待を背負っていました。馬主は金子真人ホールディングス株式会社、生産牧場は岡野牧場、そして管理調教師は池江泰寿氏(当時)が務めました。その育成は順調に進み、早くから素質の片鱗を見せていました。
スティルインラブは2002年9月7日、札幌競馬場の芝1800m新馬戦でデビューしました。鞍上には武豊騎手を迎え、単勝2.2倍の1番人気に推されました。レースでは、中団から直線で力強く伸び、見事デビュー勝ちを飾ります。続く2戦目は札幌2歳ステークス(GIII)に出走。重賞挑戦となりましたが、ここでも2着と好走し、その素質の高さを改めて示しました。
その後、休養を挟み、2003年1月に3歳初戦を迎え、勝ち星を挙げました。そして、フィリーズレビュー(GII)で2着に入り、桜花賞への優先出走権を獲得します。着実にステップアップを重ね、いよいよクラシック戦線へと駒を進めることになります。
スティルインラブの競走生活における最大のハイライトは、2003年の牝馬三冠達成です。この偉業は、彼女の強さと、当時の陣営の素晴らしい采配によって成し遂げられました。
2003年4月13日、阪神競馬場で行われた桜花賞。スティルインラブは、M.デムーロ騎手との新コンビで出走しました。当日は単勝1番人気に支持されるほどの注目を集めていました。レースでは、中団に位置取り、直線に入ると外から猛追。先に抜け出したチューニーをクビ差で差し切り、見事GI初制覇を飾りました。この勝利は、スティルインラブの本格化を告げるものであり、クラシックロードの幕開けとなりました。
桜花賞から約1ヶ月後の5月25日、東京競馬場での優駿牝馬(オークス)。芝2400mという、牝馬にとって試練の距離で行われる一戦です。スティルインラブは、再びM.デムーロ騎手を背に、2番人気で挑みました。レースは、先行勢が激しく競り合う流れとなり、スティルインラブは中団やや後方で脚を溜めます。直線に入ると、大外から豪快な末脚を炸裂させ、先に抜け出したアドマイヤグルーヴをゴール前で捕らえ、桜花賞に続く二冠を達成しました。この勝利で、彼女の距離適性と高いスタミナが証明されました。
夏を越して迎えた秋競馬、牝馬三冠の最終戦は、10月19日、京都競馬場で行われる秋華賞(GI)です。スティルインラブは、ローズステークス(GII)で3着と前哨戦を叩いて本番に臨みました。鞍上には、再びM.デムーロ騎手が起用されました。レースでは、中団から進め、直線で先行するアドマイヤグルーヴとの激しい叩き合いを演じます。壮絶な追い比べの末、スティルインラブがアドマイヤグルーヴをクビ差退けて優勝。この瞬間、彼女は史上7頭目の牝馬三冠馬という偉業を達成しました。
M.デムーロ騎手とのコンビネーションは抜群で、特にクラシックの舞台での勝負強さは際立っていました。桜花賞、優駿牝馬、秋華賞と、それぞれ異なるコースと距離で最高のパフォーマンスを発揮し、その総合力の高さを見せつけました。
牝馬三冠を達成したスティルインラブは、その後も国内外の強豪たちとの戦いに挑みました。
三冠達成後の初戦は、古馬との混合GIレースであるエリザベス女王杯。しかし、ここでは斤量の差や、長距離を走り抜いた疲労もあり、3着と惜敗します。続く有馬記念(GI)でも、強豪牡馬を相手に9着と敗れ、この年は三冠という偉業をもって終えました。
4歳となった2004年も現役を続行し、大阪杯(GII)で3着、鳴尾記念(GIII)で4着と、掲示板には入るものの、勝利には手が届きませんでした。特に、三冠達成後の激しい疲労が蓄積していたこともあり、かつての輝きを取り戻すことは容易ではありませんでした。結局、2004年のエリザベス女王杯で12着となったのを最後に、現役を引退することが発表されました。
通算成績は14戦5勝(うちGI3勝)。牝馬三冠という輝かしい記録を残し、多くのファンに感動を与えた名牝は、新たなステージである繁殖牝馬としての生活へと移ることになりました。
引退後、スティルインラブは北海道安平町のノーザンファームで繁殖牝馬としての生活を送りました。その血統と競走成績から、繁殖牝馬としての期待も非常に高く、その期待に見事応えることになります。
スティルインラブは、種牡馬ディープインパクトとの配合を中心に、数々の優秀な産駒を送り出しました。その中でも特に著名な産駒を挙げます。
これらの産駒以外にも、スティルインラブの血は様々な形で日本の競馬界に貢献しています。特に、タイトルホルダーというスーパーホースの母となったことで、彼女の血統的な価値はさらに高まりました。繁殖牝馬としての成功は、競走馬としての偉業と並び、スティルインラブの偉大さを示す重要な側面です。
スティルインラブは、競走馬としても繁殖牝馬としても、日本の競馬史に大きな足跡を残しました。
彼女の牝馬三冠達成は、当時の競馬ファンに大きな感動と興奮を与えました。特に、各レースで見せた勝負根性と、M.デムーロ騎手との息の合ったコンビネーションは、今も語り草となっています。世代の頂点に立っただけでなく、その後の古馬混合戦での挑戦も含め、常に競馬の最前線で戦い抜いた姿は、多くの人々に勇気を与えました。
また、繁殖牝馬としてもタイトルホルダーという歴史的名馬を送り出し、その血は現代競馬の主流血統として脈々と受け継がれています。母として子孫に影響を与える存在となったことは、彼女の功績をさらに大きくするものです。
スティルインラブの成功は、牝馬がクラシックで輝くことの重要性を改めて示し、また、引退後の繁殖牝馬としての価値を高めることにも貢献しました。彼女の存在は、血統の奥深さ、そして名牝から名馬が生まれるという競馬のロマンを象徴しています。
2021年2月10日、21歳の生涯を閉じたスティルインラブですが、その功績と記憶は決して色褪せることはありません。これからも、彼女の名前は、日本の競馬史における偉大な名牝の一頭として語り継がれていくことでしょう。スティルインラブは、多くのファンにとって、単なる一頭の競走馬ではなく、感動と夢を与え続けた、愛すべき存在なのです。