ミスターシービーは、1980年代前半の日本競馬界を彩った不世出の競走馬です。1983年に日本競馬史上3頭目のクラシック三冠馬となり、その奔放でダイナミックな走りは多くの競馬ファンを魅了しました。後に「皇帝」と称されるシンボリルドルフとの激闘は、今も語り草となっており、彼の存在が日本の競馬人気を飛躍的に高めたことは間違いありません。
ミスターシービーは、1980年4月7日に北海道浦河町の追分ファームで誕生しました。父は「天馬」と称された名馬トウショウボーイ、母は桜花賞馬シービークインという、まさにエリート血統です。馬主は千明牧場(後のシービー商事)、管理調教師は美浦トレーニングセンターの松山吉三郎師でした。
1982年夏にデビューしたミスターシービーは、初戦こそ2着に敗れたものの、その後のレースで連勝を飾り、早くからその非凡な才能を見せつけます。しかし、彼の走りは、一般的なサラブレッドとは一線を画していました。レース中、突如として進路を大きく変えたり、大胆なポジション取りをしたりと、「自由奔放」あるいは「気まぐれ」とも評されるその走りは、ファンをハラハラさせながらも、同時に大きな期待と興奮を抱かせたのです。
1983年、3歳となったミスターシービーは、吉永正人騎手を主戦に迎え、クラシック戦線で歴史に残る走りを見せます。
ミスターシービーの三冠達成は、当時の競馬界に空前の興奮をもたらしました。その「自由奔放」な走りは、従来の優等生的な競馬のイメージを打ち破り、多くの人々を魅了し、競馬の面白さを改めて世に知らしめたのです。
三冠を達成し、古馬となったミスターシービーは、1984年の古馬戦線でもその実力を示します。特に天皇賞(秋)では、最後の直線で大外から一気に伸びる豪快な競馬で優勝し、G1・4勝目を挙げました。しかし、この年、日本の競馬界には新たな怪物が現れます。それが、史上初の無敗の三冠馬となるシンボリルドルフでした。
ミスターシービーとシンボリルドルフは、日本の競馬史において、異なる時代を代表する二頭の三冠馬として、永遠のライバル関係を築くことになります。両馬が直接対決したのは、3度でした。
この二頭の対決は、それぞれの個性のぶつかり合いでもありました。ミスターシービーの自由奔放で豪快な末脚に対し、シンボリルドルフは常に冷静沈着で完璧なレース運びを見せる「皇帝」としての走り。異なるタイプのスターホースが同時代に存在し、激しい戦いを繰り広げたことは、日本の競馬ファンにとってこの上ない興奮と感動を与え、競馬ブームをさらに加速させました。
ミスターシービーは1985年の天皇賞(春)を最後に、右前脚の屈腱炎のため引退を発表し、その華麗な競走生活に幕を下ろしました。通算成績は15戦8勝(うちG1・4勝)という素晴らしいものでした。
ミスターシービーの強さの源泉には、その卓越した血統背景がありました。父トウショウボーイは、1970年代の「TTG時代」を彩った名馬であり、「和製エクリプス」と謳われたスピードとスタミナ、そして闘志を兼ね備えたサラブレッドです。母シービークインは桜花賞馬であり、スピード能力に加えて優れた勝負根性も持ち合わせていました。この両親の優れた競走能力と個性的な資質が、ミスターシービーの中に凝縮されていたのです。
引退後、ミスターシービーは種牡馬として第二の馬生を歩みます。初年度産駒から重賞勝ち馬を出すなど、当初は大きな期待が寄せられました。しかし、父トウショウボーイのように自身の血統を確立するまでには至りませんでした。後継種牡馬に恵まれなかったため、父系としては途絶えてしまうことになります。
これらの代表産駒の他にも、多くの重賞勝ち馬を輩出しましたが、直系の父系は途絶えました。しかし、ブルードメアサイアー(母の父)としては、その血は現代の日本の競馬界にも脈々と受け継がれています。母の父として、産駒にスタミナや底力、そして競走根性を伝える傾向が見られ、G1馬レジネッタ(桜花賞)をはじめ、数々の重賞勝ち馬を輩出しています。
ミスターシービーの血は、直接的な父系としては残らなかったものの、その優れた遺伝子の一部は、母系を通じて現代の競走馬たちの中に息づいています。彼の血統は、日本の土壌で育まれた優れた資質を、後世へと伝える役割を果たしたと言えるでしょう。
ミスターシービーは、その輝かしい競走成績だけでなく、多くの競馬ファンに夢と感動を与えたという点でも、日本競馬史において非常に大きな功績を残しました。
ミスターシービーは、2004年にJRAの顕彰馬に選定され、その偉大な功績が改めて認められました。彼の生きた時代は、日本の競馬が国際化の波に乗り始め、国民的娯楽としての地位を確立していく過渡期でもありました。その中で、彼は競馬の魅力を存分に示し、多くの人々に競馬を愛するきっかけを与えました。
晩年は北海道で静かに余生を送り、2000年12月15日に20歳の生涯を閉じました。彼の名は、今後も日本の競馬史の中で、色褪せることのない輝きを放ち続けることでしょう。自由で、そして強く、人々の記憶に刻まれた名馬、それがミスターシービーなのです。