トルコ音楽楽器とは?
トルコ共和国は、アジアとヨーロッパの交差点に位置する地理的特性から、多様な文化が交錯し、豊かな音楽遺産を育んできました。その音楽を支えるのが、長い歴史の中で洗練されてきた独自の楽器群です。これらの楽器は、トルコ古典音楽、スーフィー音楽、民俗音楽、そして現代のポップスに至るまで、幅広いジャンルでその美しい音色を響かせています。
本記事では、トルコ音楽楽器の歴史的背景から、主要な弦楽器、管楽器、打楽器に至るまで、それぞれの楽器が持つ特徴や文化的な役割を詳しく解説します。トルコ音楽の奥深い世界への扉を開く鍵となるでしょう。
トルコ音楽の歴史と楽器の発展
トルコ音楽のルーツは、中央アジアのトルコ系民族がアナトリア半島に移住してきた時代に遡ります。彼らが持ち込んだシャーマン的な儀式音楽や吟遊詩人の伝統は、この地の多様な文化、特にビザンツ文化やアラブ・ペルシア文化と融合し、独自の発展を遂げました。特に大きな影響を与えたのは、オスマン帝国時代です。
- オスマン帝国期の隆盛: オスマン帝国の宮廷では、高度に洗練された「オスマン古典音楽」が花開きました。この時代の音楽家たちは、アラブ・ペルシア音楽の理論を取り入れつつ、独自の音階システムである「マカーム(Makam)」を発展させました。このマカーム理論に基づいて、様々な楽器が改良され、あるいは新しく生み出されました。ウード、カヌーン、ネイなどがその代表例です。
- 民俗音楽の多様性: 一方、宮廷の外では、農耕や牧畜、遊牧生活を送る人々の間で、地域色豊かな民俗音楽が発展しました。吟遊詩人「アシュク(Âşık)」によって歌い継がれてきた叙事詩や、祭りや儀式で演奏されるダンス音楽など、多岐にわたります。これらの音楽では、サズ、ズルナ、ダウルといった、より素朴でありながら力強い音色を持つ楽器が中心的な役割を果たしました。
- 現代への継承と変化: 20世紀に入り、トルコ共和国が建国されると、西洋音楽の影響も受けつつ、伝統音楽の保存と革新が進められました。ラジオやテレビの普及、音楽教育機関の設立により、トルコ音楽楽器の演奏技術は現代にも受け継がれています。現代トルコ音楽では、これらの伝統楽器がポップスやジャズ、フュージョンなど、多様なジャンルに取り入れられ、新しい表現の可能性を広げています。
このように、トルコ音楽楽器は単なる音を出す道具に留まらず、歴史、文化、そして人々の生活と深く結びついて発展してきました。それぞれの楽器が持つ個性的な音色は、トルコの豊かな精神世界を映し出しています。
代表的な弦楽器
サズ(Bağlama)
サズ(Bağlama)は、トルコにおいて最もポピュラーで、民族の魂と称される弦楽器です。長いネックと瓢箪のような丸い胴体、そして通常7本の弦(複弦で3コースと単弦1コース)を持つリュート属の楽器です。その音色は素朴でありながら力強く、トルコの民俗音楽やアシュク(吟遊詩人)の歌に欠かせない存在です。
- 構造と種類: サズの胴体は通常、桑やジュニパーなどの木材を刳り貫いて作られます。長いネックには多数のフレット(通常19〜24)が結び付けられており、これらは移動可能で、演奏するマカームや音階に合わせて調整されます。サズにはサイズによって様々な種類があります。
- ディヴァン・サズ(Divan Sazı): 最も大きく、低い音域を担当します。
- バグラマ(Bağlama): 標準的なサイズで、最も広く演奏されます。
- タンブーラ(Tanbura): バグラマよりやや小さめです。
- ジュラ(Cura): 最も小さく、高い音域を奏でます。
これらのサズは、通常ピック(ミズラブ)を使って演奏されますが、指で弾く(セルペテズ)奏法もあります。
- 文化的意義: サズは、アシュク(吟遊詩人)が叙事詩や民謡を歌い上げる際に自らを伴奏するだけでなく、人々の集会や祝い事、抗議の場など、トルコ社会のあらゆる場面に登場します。その音色は、トルコ人の喜びや悲しみ、希望を表現する象徴として深く愛されています。
ウド(Ud)
ウド(Ud)は、中東全域で広く愛される撥弦楽器で、トルコでも古典音楽を中心に重要な役割を担っています。西洋のリュートの祖先とも言われ、その丸みを帯びた胴体とフレットのない短いネックが特徴です。通常は5コースの複弦と1コースの単弦、合計11本の弦を持ちます。
- 構造と音色: ウドの胴体は、多数の細長い木片を貼り合わせて作られた半梨形です。フレットがないため、演奏者は正確な音程を指で探し出す必要があり、微妙なニュアンスや半音以下の音程(コンマ)を表現することができます。音色は深く、温かみがあり、瞑想的な響きを持っています。
- 歴史的背景: ウドは、紀元前から存在するとされる非常に古い楽器であり、イスラム文化圏で発展しました。トルコでは、オスマン古典音楽において、マカーム理論の複雑な構造を表現するための中心的な楽器として、その地位を確立しました。独奏楽器としても、またアンサンブルの中でも、その美しい音色で聴衆を魅了します。
カヌーン(Kanun)
カヌーン(Kanun)は、台形型の木製共鳴箱の上に多数の弦が張られたツィター属の撥弦楽器です。トルコ古典音楽やアラブ音楽で非常に重要な役割を果たします。通常は72〜81本の弦(24〜27コースの3本複弦)を持ち、各コースには小さな金属製のレバー(マンダル)が取り付けられています。
- 構造と演奏方法: 演奏者は、左右の指に装着したプレクトラム(ピック)で弦を弾きます。カヌーンの最大の特徴は、各コースに備えられたマンダルです。これを操作することで、弦の音程を素早く半音や四分音単位で変化させることができ、マカーム音楽の複雑な微分音程を正確に表現できます。その鮮やかで煌びやかな音色は、アンサンブルの中で旋律の中心を担うことが多いです。
- 文化的役割: カヌーンは、オスマン古典音楽のアンサンブル「ファスル(Fasıl)」において、主要な楽器の一つとして重宝されます。その技術的な要求の高さから、演奏者は高度な訓練を積む必要がありますが、その豊かな表現力は、トルコ音楽の深遠な美しさを伝える上で不可欠な存在となっています。
ケメンチェ(Kemençe)
ケメンチェ(Kemençe)は、トルコで広く見られる擦弦楽器の総称ですが、特にトルコ古典音楽で用いられる「イスタンブール・ケメンチェ(İstanbul Kemençesi)」と、黒海地方の民俗音楽で使われる「カラデニズ・ケメンチェ(Karadeniz Kemençesi)」の二つが代表的です。
- イスタンブール・ケメンチェ: 小型で洋梨型の胴体を持ち、通常3本の弦(D-A-Dに調弦されることが多い)を持ちます。楽器を垂直に構え、弓で弦を擦って演奏します。演奏者は爪の背や指の腹で弦を押さえ、ビブラートやグリッサンドを多用して独特の哀愁漂う音色を生み出します。オスマン古典音楽のアンサンブルにおいて、叙情的な旋律を担当します。
- カラデニズ・ケメンチェ: より細長く、ネックと胴体が一体化したような形状をしています。こちらも3本の弦を持ち、高速なテンポで演奏されることが多く、黒海地方の激しいダンス音楽「ホーロン(Horon)」には欠かせない楽器です。その鋭くも陽気な音色は、この地域の活気ある文化を象徴しています。
代表的な管楽器
ネイ(Ney)
ネイ(Ney)は、葦の茎で作られた縦笛で、その起源は古代エジプトにまで遡ると言われる非常に古い管楽器です。トルコでは、特にスーフィー音楽、特にメヴレヴィー教団(旋回舞踊で知られる)の儀式音楽において、極めて神聖な楽器とされています。
- 構造と音色: ネイは通常7つの指孔を持ち、先端には「バシュパレ(Başpare)」と呼ばれる角やデルリン製のマウスピースが取り付けられています。演奏者はバシュパレの縁に唇を当てて息を吹き込み、非常にデリケートな息遣いで音程をコントロールします。その音色は、深く、神秘的で、魂に語りかけるような響きを持っています。
- スーフィー音楽との関連: メヴレヴィー教団の創始者であるルーミーは、詩の中でネイの音色を「故郷への憧れや神への愛を歌い上げるもの」と表現しました。ネイの音色は、スーフィーの哲学である「神との合一」や「無への回帰」を象徴するとされ、儀式の中で魂を浄化し、精神を高揚させる役割を果たします。
ズルナ(Zurna)
ズルナ(Zurna)は、強く響くダブルリードを持つ木管楽器で、その大音量と力強い音色が特徴です。主に屋外での祭り、結婚式、民俗舞踊などで演奏され、トルコの民俗音楽には欠かせない存在です。
- 構造と音色: ズルナは、広がるベル(朝顔)を持つ木製の円錐形管体と、その先端に挿入された大きなダブルリードによって構成されます。その音は非常に大きく、遠くまで響き渡るため、屋外でのパフォーマンスに最適です。音色は荒々しくも情熱的で、聴く者に強い印象を与えます。
- ダウルとの組み合わせ: ズルナはしばしば、後述する打楽器のダウル(Davul)と組み合わされて演奏されます。このズルナとダウルのアンサンブルは「ダウル・ズルナ(Davul-Zurna)」と呼ばれ、トルコの民俗舞踊や伝統的なお祝い事の場で、力強いリズムとメロディを奏でます。この組み合わせは、古くからアナトリアの村々で親しまれてきました。
代表的な打楽器
ダウル(Davul)
ダウル(Davul)は、トルコをはじめとするバルカン半島や中東地域で広く使われる両面太鼓です。大きな木製の枠に、動物の皮(通常はヤギや羊の皮)が両面に張られています。トルコの民俗音楽や屋外での祭りには欠かせない存在です。
- 構造と演奏方法: ダウルは通常、肩から吊り下げて演奏されます。右手に持った太いバチ「トクマク(Tokmak)」で片面を叩き、左手に持った細いスティック「チブク(Çubuk)」でもう片面を叩きます。トクマクは力強く低い音を、チブクは軽快で高い音を出し、このコントラストがダウル独特のリズム感を生み出します。
- 文化的役割: ズルナとの組み合わせ「ダウル・ズルナ」として、結婚式、祭りのパレード、民俗舞踊などで中心的な役割を果たします。その力強いリズムは、人々の士気を高め、一体感を生み出す効果があります。また、かつては軍楽隊の楽器としても用いられました。
ダルブッカ(Darbuka / Dumbelek)
ダルブッカ(Darbuka)は、ゴブレットドラムと呼ばれる砂時計型の打楽器で、トルコでは「ドゥンベレク(Dümbelek)」とも呼ばれます。金属(アルミニウムや銅)や粘土で作られ、上部にプラスチックや魚の皮が張られています。
- 構造と演奏方法: 小脇に抱えるか、膝の上に置いて、指と手のひらを使って演奏します。縁を叩く「タック(Tek)」、中央を叩く「ドゥム(Dum)」、指で素早くフリックする「ロール(Roll)」など、多彩な奏法によって豊かなリズムパターンを生み出します。その軽快で複雑なリズムは、トルコのポップスから民俗音楽、ベリーダンスの伴奏まで、幅広いジャンルで活躍します。
- 普及と人気: ダルブッカは、その手軽さと表現の多様性から、プロの音楽家だけでなく、アマチュアにも広く親しまれています。現代トルコ音楽においても、そのリズミカルな音色は多くの楽曲に彩りを添えています。
ベンディル(Bendir)
ベンディル(Bendir)は、北アフリカや中東、そしてトルコのスーフィー音楽で用いられるフレームドラムです。木製の枠に革(通常はヤギの皮)が張られたシンプルな構造ですが、その音色は非常に豊かです。
- 構造と音色: ベンディルの特徴は、裏面に響線(スネア)が取り付けられていることが多い点です。これにより、演奏時に独特のジリジリとした残響音が加わり、豊かな音響効果を生み出します。演奏者は、手のひらや指を使って、縁や中央を叩き分け、様々な音色とリズムを生み出します。
- スーフィー音楽での使用: 特にメヴレヴィー教団の儀式音楽において、その神秘的な音色はネイと共に精神的な雰囲気を作り出すのに貢献します。ベンディルの規則的なリズムは、瞑想的な状態を促し、スーフィーの旋回舞踊「セマー」の伴奏としても重要な役割を果たします。
トルコ音楽楽器の現代における役割
現代において、トルコ音楽楽器は単に伝統を継承するだけでなく、その枠を超えて新たな役割を担っています。
- 伝統音楽の保存と継承: 音楽学校や文化センターでは、専門家が伝統楽器の演奏技術やマカーム理論を次世代に伝えています。これにより、貴重な音楽遺産が失われることなく、現代へと引き継がれています。
- 現代音楽への導入: トルコの伝統楽器は、ポップス、ロック、ジャズ、フュージョンといった現代音楽のジャンルにも積極的に取り入れられています。サズやウドの音色がポップスに深みを与えたり、ダルブッカの複雑なリズムがグルーヴを生み出したりと、その可能性は無限大です。これにより、伝統楽器がより多くの人々に親しまれる機会が増えています。
- 世界への影響と交流: トルコ音楽楽器の独特な音色は、世界中の音楽家からも注目を集めています。国際的な音楽フェスティバルやコラボレーションを通じて、トルコ音楽の魅力が世界に発信され、異文化間の音楽交流が活発に行われています。
- 教育と研究: 民族音楽学の分野では、トルコ音楽楽器の起源、発展、文化的意義に関する研究が続けられています。また、子供向けの音楽教育プログラムにも取り入れられ、幼い頃から自国の音楽文化に触れる機会が提供されています。
これらの活動を通じて、トルコ音楽楽器は、過去と現在、そして未来をつなぐ役割を果たし、常に進化し続けています。
まとめ
トルコ音楽楽器は、その多様な種類と豊かな音色によって、トルコ文化の深遠な魅力を表現する重要な要素です。中央アジアのルーツからオスマン帝国の宮廷、そして現代の日常生活に至るまで、それぞれの楽器が独自の歴史と文化的な意味合いを背負って発展してきました。
サズの力強い響き、ウドの瞑想的な音色、カヌーンの煌びやかな旋律、ネイの神聖な調べ、ズルナの情熱的な咆哮、そしてダルブッカの軽快なリズム。これら一つ一つの楽器が、トルコの人々の喜び、悲しみ、信仰、そして希望を映し出し、聴く者の心に深く響き渡ります。
現代においても、伝統楽器は革新的な方法で活用され、新しい音楽的表現の可能性を広げています。トルコ音楽楽器が織りなす音の世界は、これからも私たちを魅了し、文化と歴史の奥深さを伝え続けていくことでしょう。