アラブ音楽楽器とは?
アラブ音楽は、その豊かな歴史と多様な文化の中で育まれ、独自の音階、リズム、そして演奏スタイルを持っています。その音楽を形作る上で不可欠な存在が、多種多様なアラブ音楽楽器です。これらの楽器は、単なる音を出す道具にとどまらず、アラブ世界の歴史、哲学、精神性、そして人々の感情を深く表現する媒体として、何世紀にもわたって受け継がれてきました。
本記事では、アラブ音楽を象徴する主要な楽器に焦点を当て、その起源、特徴、演奏方法、そして現代における役割について詳しく解説します。アラブ音楽の奥深さに触れる旅にご案内しましょう。
アラブ音楽の歴史と楽器の役割
アラブ音楽の歴史は、古代メソポタミアやエジプト文明にまで遡ると言われています。イスラム教の台頭とともに、中東、北アフリカ、中央アジア、そしてヨーロッパの一部に広がり、各地の文化と融合しながら独自の発展を遂げてきました。特にアッバース朝時代(8世紀〜13世紀)のバグダッドは、学問と芸術の中心地として栄え、音楽理論の確立や楽器の改良が進みました。
アラブ音楽は、主に「マカーム」と呼ばれる独自の音階システムと、「イーカーア」と呼ばれる複雑なリズムパターンを特徴としています。これらのシステムを表現するためには、西洋音楽とは異なる構造を持つ楽器が発達しました。それぞれの楽器は、特定の音色や表現力、そして歴史的・文化的な背景を持ち、アンサンブルの中で独自の役割を担っています。
楽器は、単にメロディやリズムを奏でるだけでなく、語り部として、時には瞑想の道具として、人々の生活に深く根ざしてきました。婚礼や祭りの場を彩り、詩の朗読に寄り添い、祈りの時間に静かに響くなど、その用途は多岐にわたります。楽器の一つ一つに、アラブの人々の心が息づいていると言えるでしょう。
主要な弦楽器
アラブ音楽において、弦楽器はメロディラインの中心を担い、感情豊かな表現を可能にします。その多様な音色は、聴く者を魅了してやみません。
ウード(Oud)
ウードは「楽器の女王」と称され、アラブ音楽を代表する最も重要な弦楽器の一つです。その名はアラビア語で「木」を意味し、その特徴的な木製の胴体から名付けられました。西洋のリュートやギターの祖先とも言われており、中世にアラブ世界からヨーロッパに伝わったとされています。
- 特徴と構造: ウードは、フレット(棹の目印となる仕切り)を持たない洋ナシ型の胴体と短いネックが特徴です。通常は5コース10本の弦、または6コース11〜12本の弦を持ち、ピック(リシャ)で弾かれます。フレットがないため、演奏者は非常に細やかな音程(マカーム特有のマイクロトーン)を自由に表現できます。
- 歴史と役割: 古代からアラブ世界の宮廷音楽や古典音楽の中心を担い、ソロ楽器としても、アンサンブルのリード楽器としても活躍します。深く温かい音色で、人々の心を打つメロディを奏でます。
- 演奏技法: 左手で弦を押さえ、右手のリシャで弦を弾きます。フレットがないため、正確な音程と豊かな感情表現には高度な技術と熟練が必要とされます。
カヌーン(Qanun)
カヌーンは、台形または長方形の共鳴箱に多数の弦が張られたツィター族の楽器です。その名はアラビア語で「法律」や「規範」を意味し、完璧な音律を奏でる楽器として尊重されてきました。
- 特徴と構造: 通常、75本以上の弦(24〜27コースの3本組)が張られており、指に装着したピック(プレクトラム)で弾かれます。弦の下には「マンドル」と呼ばれる小さなレバーがついており、これを操作することで弦の音程を微妙に変化させ、マカーム特有のマイクロトーンを表現します。
- 歴史と役割: カヌーンは、ウードと並んでアンサンブルの主要なメロディ楽器として、またソロ楽器としても非常に人気があります。そのクリアで輝かしい音色は、特にエジプトやレバント地域(シリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナ)の音楽で不可欠な存在です。
- 演奏技法: 両手の指に装着したプレクトラムで弦を弾き、左手の親指でマンドルを操作して音程を調節します。高度な演奏技術が要求される楽器です。
ブズーキー(Buzuq/Buzuk)
ブズーキーは、ウードに似た形状を持ちながら、より長いネックとフレットを持つ弦楽器です。元々はレバント地域(特にレバノン、シリア)の民間音楽やポピュラー音楽で広く使われてきました。
- 特徴と構造: 通常、2〜4コースの複弦を持ち、フレットがあるためギターのように指板で音程を決めます。ウードよりも明るく、響きの良い音色が特徴です。
- 役割: ポップスやフォーク音楽、舞踏音楽など、様々なジャンルで活躍します。独奏楽器としても魅力的ですが、アンサンブルでの伴奏やメロディラインの一部を担うことも多いです。
レバーブ(Rebab)
レバーブは、アラブ世界で最も古いとされる弓奏弦楽器の一つです。その起源は非常に古く、西洋のヴァイオリンの祖先の一つとも言われています。
- 特徴と構造: 地域によって様々な形状がありますが、一般的には小さな共鳴箱と長いネックを持ち、1〜3本の弦を弓で擦って演奏します。共鳴箱は木製だけでなく、動物の皮で覆われたものもあります。
- 役割: 遊牧民の音楽や民俗音楽、物語の語り部に伴奏する際に用いられることが多く、独特の哀愁を帯びた音色で知られています。
魅力的な打楽器
アラブ音楽のリズムは非常に多様で複雑であり、それを支える打楽器群はアンサンブルに力強さと躍動感を与えます。
ダラブッカ(Darbuka/Tabla)
ダラブッカは、アラブ音楽を象徴する代表的な手打ちドラムです。そのエキゾチックな音色と華やかな奏法は、聴く者を惹きつけます。
- 特徴と構造: 砂時計型またはカップ型の胴体に、動物の皮(近年では合成素材)が張られたヘッドを持つ楽器です。胴体は粘土、木、金属(アルミや銅)などで作られ、それぞれ異なる音響特性を持ちます。
- 演奏技法: 両手を使ってヘッドを叩き、中央を叩く「ドゥーム(Dum)」、端を叩く「タック(Tak)」、オープンサウンドの「カ」など、様々な音色を組み合わせることで複雑なリズムパターンを奏でます。熟練した奏者は、驚くほど多様な音色と高速なパッセージを生み出します。
- 地域による呼称: エジプトやレバント地域では「ダラブッカ」、北アフリカでは「タブラ」と呼ばれることもあります。
リク(Riq)
リクは、ジングル(小金属板)が付いた小さなフレームドラムで、西洋のタンバリンによく似ています。アラブ音楽のリズムにきらめきと装飾を加える重要な楽器です。
- 特徴と構造: 木製または金属製のフレームに動物の皮(魚皮やヤギ皮が多い)が張られ、フレームの側面に一対または複数対の金属製のジングルが取り付けられています。
- 演奏技法: 手でヘッドを叩くことでドラム音を出し、同時にジングルを鳴らしてシャープで軽快なリズムを刻みます。高度な奏者は、ヘッドの様々な部分を叩き分けたり、フレームを振ったりすることで、非常に多様な音色とリズムパターンを生み出します。
- 役割: アンサンブルの中でリズムを強調し、音楽に華やかさをもたらします。
タール(Tar)
タールは、比較的大きなフレームドラムで、リクよりも深みのある低音と、柔らかな響きが特徴です。ジングルがないものと、数個のジングルが付いたものがあります。
- 特徴と構造: 木製のフレームに動物の皮が張られています。ダラブッカやリクよりも大きく、両手でフレームを持って演奏します。
- 役割: リズムの土台を築き、アンサンブルに安定感と深みを与えます。瞑想的な音楽や民俗舞踊の伴奏などにも用いられます。
バンドゥール(Bendir)
バンドゥールは、特に北アフリカやモロッコで広く使われるフレームドラムです。特徴は、ヘッドの裏側に張られた「スネア」と呼ばれる弦で、これによって叩くと独特のバズ音(唸り音)が生じます。
- 特徴と構造: 木製のフレームに動物の皮が張られ、裏側にガット弦やナイロン弦が取り付けられています。
- 役割: リズムの基盤を築き、その独特のバズ音が音楽に民族的な色彩を加えます。特にスフィズムの儀式音楽などで重要な役割を果たします。
独特の管楽器
アラブ音楽の管楽器は、そのユニークな音色と表現力で、聴く者を別世界へと誘います。しばしば精神的な深みや神秘性を帯びた音色を奏でます。
ナーイ(Nay)
ナーイは、アラブ世界で最も古く、そして最も尊敬されている管楽器の一つです。リードを持たないエンドブロー(端吹き)の縦笛で、その音色はしばしば魂の声を表現すると言われます。
- 特徴と構造: 通常、葦(アシ)の茎から作られ、指穴が6つ(前面)と1つ(背面)あります。ナーイにはフレットがなく、演奏者は息の強さ、角度、指の運びによって、非常に多様な音色、ピッチ、マイクロトーンを生み出します。
- 音色と役割: その音色は、非常に穏やかで哀愁を帯びており、深く瞑想的な響きを持ちます。特にスフィズム(イスラム神秘主義)の音楽では、神への賛歌や瞑想のために用いられ、重要な精神的意味合いを持ちます。古典的なアラブ音楽アンサンブルでも、そのユニークな音色でメロディラインを彩ります。
- 演奏技法: 演奏には高度な技術と熟練が必要です。特に、正しい角度で息を吹き込み、豊かな倍音と微妙な音程変化を生み出すには長年の練習を要します。
ミズマール(Mizmar)/ ズルナ(Zurna)
ミズマール(またはズルナ)は、ダブルリードの管楽器で、非常に大きく、力強い音色が特徴です。祝い事や屋外での演奏でよく用いられます。
- 特徴と構造: 木製の円錐形の管に、取り外し可能な小さなダブルリード(葦の葉を重ねたもの)が取り付けられています。指穴がいくつかあり、地域によって形状や大きさが異なります。
- 音色と役割: その音色は、甲高く、時に荒々しくも情熱的です。婚礼、祭り、パレードなど、賑やかなイベントでダンスを伴奏したり、民衆を鼓舞する役割を担います。アンサンブルではリード楽器として、あるいはソロで演奏されることもあります。
アラブ音楽楽器の現代における展開
アラブ音楽楽器は、伝統を深く守りつつも、現代社会の中で新たな役割を見出し、進化を続けています。
- 伝統の継承と教育: 多くの国で、伝統音楽院や大学でアラブ音楽楽器の演奏技術と理論が教えられています。これにより、次世代の演奏家が育ち、古くからのレパートリーが現代に伝えられています。
- フュージョン音楽への影響: アラブ音楽楽器は、ジャズ、ロック、エレクトロニックミュージックなど、西洋の様々なジャンルとのフュージョン(融合)を通じて、新たな表現の可能性を広げています。ウードやダラブッカが西洋のバンドに取り入れられ、独特のサウンドを生み出す例は少なくありません。
- ポップスへの影響: 現代のアラブポップスやワールドミュージックでも、これらの伝統楽器は重要な要素となっています。シンセサイザーによる再現だけでなく、生演奏の楽器が楽曲に深みと authentic な響きを与えています。
- デジタル技術との融合: 楽器のデジタル化も進んでいます。サンプリング音源やバーチャルインストゥルメントとして、DTM(デスクトップミュージック)の世界で手軽にアラブ音楽の音色を取り入れることができるようになりました。また、オンラインでのレッスンや、SNSを通じた情報共有も盛んに行われています。
- 世界への広がり: 欧米を中心に、アラブ音楽やその楽器に魅了される人々が増えています。国際的な音楽祭での演奏や、ワークショップの開催などを通じて、その魅力は世界中に広がり続けています。
まとめ
アラブ音楽楽器は、数千年の歴史の中で培われてきた豊かな文化遺産の結晶です。ウードの深遠な響き、カヌーンの輝かしい音色、ダラブッカの躍動的なリズム、ナーイの瞑想的な調べなど、それぞれの楽器が独自の物語と感情を語りかけます。
これらの楽器は、アラブ音楽の多様な音階とリズムを表現する上で不可欠であり、アラブ世界の精神性、歴史、そして人々の暮らしと深く結びついています。伝統を守りつつも、現代の音楽シーンで新たな息吹を吹き込まれ、その魅力は国境を越えて多くの人々を魅了し続けています。
アラブ音楽楽器を通して、その奥深い文化と心に触れてみてはいかがでしょうか。